最近思うこと・・・公共工事の逮捕者に思う


ダクタイル管工事の逮捕者

ダクタイル管の受注量調整で、当該企業の営業担当の部長、部長代理(課長?)レベルの逮捕が報道された。
新聞やTVによると40年間も全国のダクタイル管の受注量を一定にし、また価格を協定していたという。すごいことやってるな、という感想をもったが、同時にいくつかの疑問がわいてきた。

第一に、このダクタイル管というのはどうも規格化されていて全国で使われているようだが、それを作っているのがほぼ3社しかなく、この3社の競争によって受注しているということが不思議だ。新規参入の企業はなかったのだろうか。

第二に、3社しかない寡占の市場製品で、かつ規格化されているのに、毎回毎回入札を行っているのは不自然じゃないか。だいたい、取る会社が変わっているだけで価格は一定だそうだが、前回取った会社が次の時高い価格で入札しているということであれば、談合もしくは意識的調整は明らかだと思うが。

そう考えれば、発注者がそれを黙認、もしくは推進していたと考えられる。

見方を変えれば、こんな製品をいちいち入札にかけているということがおかしいと思えてくる。
毎回企業が変わり、また新規参入企業が多いとか、その度に設計が特殊でまったく違った見積もりが必要だとかなら公正をきすため入札も考えられるが、同じ物がそれも数社だけに入札をさせるというのは、談合を求める制度と考えざるを得ない。

企業は利益を追求するのであって、利益が脅かされないような方法を取るのは当然の帰結であろう。毎回、同じ相手と喧嘩をして利益を減らす(つまり、入札価格を下げる)のが、お互いの首を絞めていると気付かないわけがない。

また、発注者、もしくは市民にとっても、同じ物が隣町では安い値段で契約していると気付いたらいい気がしないだろう。きりがない。業者だって入札のたびに安くするわけにはいけないだろうし、高い値段を入札するのもおかしいのだから。

逮捕された人を責める気もしない。

40年間も続いてきたものであれば、彼ら自身がこのしくみを作ったわけではなく、おそらく上司からの引き継ぎ事項として続けてきたはずだ。
私もサラリーマンであるので、自分の会社のやり方が気にいらないと思っても、それが会社にとっての利益であり、直接何かに危害を与えるものでないなら必要悪という言葉で括ってしまうような気がする。

当然、違反であるのは確かなのでいいことであるとは言わないが、今回の場合発注者の、つまり自治体とか、国家とかの責任があると思えてならない。
漫然と規則通りにやるのだけが官僚といわれる人々の仕事ではあるまい。優秀な人材を採用しているのは何のためなのか、疑問になってくる。

ところで、「入札」とは何なのか。
まあ、自分(自社)の希望価格を札に書いて提出(?)しその中で一番低い価格を書いた人(社)に発注しましょう、ということだとは思うが、一発勝負で、それも安いというだけでわれわれの生活の基盤作りを任すというのも「?」の気分になる。
ちなみに、知り合いの営業マンに話を聞いてみると、発注するにあたっては能力が十分であるかどうかをあらかじめ審査してランクづけをしてあるという。
それで、その発注内容の難易度に応じて業者を何社か選び、その会社で入札を行うため、どこが取っても問題ないというのが彼の説明だった。 この公共事業の「入札」については別途考えてみたい。 主題がわからなくなってしまったが、今回のダクタイル管(って実は何?)事件を読み聞きして公共工事のしくみに興味が沸いてきてしまった。 情報があったら教えてください。

公共事業第2弾を読む

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