161.雇用

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの元 看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業を目指している
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問
亜海:居酒屋みやびの新しいアルバイト
原島:ジンの高校の大先輩。新社長としてジンにアドバイスを求めている。

「へい、いらっしゃい。毎度」

 いつものみやびで、いつものヱビスの生ビールを飲んで、今日を振り返る。
 
「今年は企業も夏休みを増やしたり、土日に出勤したりと変則的になってますが、ここはあんまり変わらないですね」

「うちに来るお客には、あんまり大手企業の人はいませんからね。」

「ま、中小企業のたまり場でいいじゃない。ね、梅平さん」

 大森さんが珍しく人を連れて飲みに来ていた。
 その梅平さんもうれしそうにジョッキを掲げている。

「私も大森さんに初めて連れてきて貰いましたけど、この昔ながらの居酒屋がうれしいですね。こんなに安くて旨くていいんですかね」

「ありがとうございます。そんなに誉められちゃ、照れますよ」

「そういや、ジンさん。この梅平さんは愛知から出張で来てるんだけど、ほらアメリカのGMの部品を手がけているのに、リーマンショックを生き残った優良企業なんだよ。梅平さん、この街の敏腕経営コンサルタントのジンさんだよ」

「あ、噂は聞いてました。北野さんでしたね。始めまして、梅平です」

「いえ、いえ。普通のサラリーマンですよ。大森さん、大げさなこと言わないでください」

 梅平さんの名刺には代表取締役社長の肩書きがあった。

「あのリーマンショックの時にGMの仕事をしてたなら大変だったでしょう」

「まあ、楽じゃなかったですが、全部がGMの仕事というわけではなかったし、身の丈経営を信条として無理せずやってきましたので何とかなりました」

「ジンさん。今日は、梅平さんから、どうやってリーマンショックを乗り越えたのか、経営者クラブで話を聞かせて貰ったんだよ。いい話だったよ。リストラどころか、定年も無し、70歳になっても定期昇給をしてやっている超優良企業なんだよ」

「ははは。大森さん、私まで誉めすぎですよ。あくまで、身の丈経営をしてきただけです。まあ、スタートはあの松下幸之助さんの話をラジオで聞いてからなんですがね」

「松下幸之助さんの経営を実践したんですか?」

「そんな大層な。たまたまなんですが、ラジオで松下幸之助さんの語録のような話をしていたんですな。その中で、『手形は切るな、身の丈にあった経営をしろ。』というのがあったんです。それを聞いて、はっと思いましてね、徐々にですが手形取引を止めたんです」

「手形を止めたと言うことは、資金繰りが大変になるということですよね」

「そうなんです。ただ、私もこの会社を継いだころから手形取引をすることで自転車操業をすることが本当の経営なんだろうか?という疑問があったんです。手形で支払いを先送りすることで、自分の会社の状況を見えづらくしているし、無理な取引になってるんじゃないか、ってね。ほら、個人でもクレジット破産なんかがあるじゃないですか。クレジットカードがあれば、自分の給料を無視して好きなものに手を出すことができるのと同じですよね。ただ、会社はそんな無責任なことができるわけがないと思っていたんですよ。じゃあ、本当に今買えるものだけを買うことにしたらどうかとね」

「キャッシュによる経営ですね。確かに、流動負債が大きく圧縮されますので経営状況が見えやすくなるでしょうね。それでも、それだけで、リーマンショックを乗り越えたり、定年を無くしたりはできないですよね」

「もちろんです。うちの会社は精密加工の技術では世界最小規模の加工ができますから、取引先との信頼関係は強いですし、何と言ってもその技術を持っている従業員ががんばれる職場づくりをしている結果だと思っています。その強みを活かすためにも、身の丈にあった経営、つまり、無理をしない経営が大事だと思っているんです」

「なるほど。それで、従業員も安心できるということですね」

「それそれ、それですよ。さすが北野さん。うちの経営理念の一つが『従業員に安心を与え、希望を持って仕事ができる職場づくりをする』ということで、毎月給料を払うこと、解雇はしないこと、毎年定期昇給をすることを実践しています」

「普通の企業は、例えば60歳を過ぎると雇用延長するけど給与は6割とか、半分とかになったりしますよね」

「60歳になると出来たことが出来なくなるとか言うならわかりますが、これまでと同じ力をもっているならそれに見合った給料を払うのが当然でしょう?年金を貰うから減らしましょうというのも違う。自分の仕事に対して支払いを受けていると言うことが本気で仕事に取り組む絶対条件だと思っています」

「すごい。身の丈経営というより人を活かす経営ですね。畏れ入りました。梅平さん、是非じっくりお話を聞かせてください」

「さあさあ、お話の途中ですが、鰹のいいのが入ってますので、ひとまず箸をつけてくださいよ」

「そうだそうだ。黒さんの仕事もきちんと評価できるように食べて飲まなきゃ、みやびの常連を解雇されちまうな」

「大森さん。そんなことないですよ。うちにとっては、お客さんがすべてですから。もちろん定年も解雇もないですよ。年金で飲みに来て貰って結構ですんでね」

「うーん。梅平さんの話とは随分離れたなあ」

(続く)

《1Point》
 今回も中小企業白書の事例を参考にしました。が、フィクションを入れてしまっています。
 
 この事例の本質とずれてしまっているかもしれませんが、私の解釈や思いが入っているのはいつものことですから(^_^;)
 
 今回、テーマは雇用としていますが、最初は手形について注目しようかと思っていました。手形を廃止することのメリットについて、別の会社の事例からの一例を挙げておきます。

(1)流動負債の減少による財務バランスの改善:支払手形がなくなったことで、自己資本比率が上昇するなどの効果が得られた

(2)自社のイメージアップ:現金払いとすることで、調達先から感謝されるだけでなく、販売代理店からも「現金払いが可能であるのは、資金繰りに余裕がある証拠であり、安心できる」という評価を受けることができた

(3)値引きが受けられる場合がある:手形払いから現金払いに変更すると、仕入先によっては1~3%程度の値引きが受けられることもあるため、調達コストが下がり粗利益率の改善につながった

 もちろん本物の事例も載せます。別の視点で確認ください。
 
【事例:経済危機の中で雇用維持に努めている企業】
 (出典:2010年版中小企業白書 事例1-2-3)P59
 
愛知県豊橋市の株式会社J工業(従業員60名、資本金7,900万円)は、プラスチック製の小型精密部品を製造する企業である。

同社は加工技術に優れており、世界最小規模の100 万分の1グラム、直径0.149ミリメートルの歯車等の製造も可能としている。

同社の売上は、携帯電話やデジタルカメラ等の精密機械部品が8 割、自動車部品が2 割を占めるが、自動車部品の一部がゼネラルモーターズのスピードメーターの部品であったため、リーマン・ショック後に受注が減少した。

しかし、同社は、強固な財務体質を有しており、雇用調整を行う必要がなかった。

こうした強固な財務体質は、同社の○○社長が松下幸之助の「手形は切るな、身の丈にあった経営をしろ。」という話をラジオで聞き、手形取引を止めることを決断したことから始まった。

少額の手形取引から徐々に止めていき、現在は、全手形取引を廃止している。

この結果、同社の自己資本比率は5割を超え、仮に売上が7.8割減でも4.5年、5割減でも10 年は経営できる財務体質となった。

○○社長は、「従業員に安心を与え、希望を持って仕事できる職場づくりを行うことが経営者の責任であり、毎月給料を払うこと、解雇はしないこと、毎年の定期昇給が重要。」と話す。

同社に定年は無く、60歳、70歳といった従業員も若手社員と同じように毎年昇給している。

こうした従業員が安心感と希望を持って仕事に臨める職場環境が、従業員の意欲を向上させ、より付加価値の高い製品を生み出すことを可能にしている。

(*念のため、企業名と個人名は伏せました。また、改行等追加しています)