144.成長マトリクス

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの元 看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業を目指している
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問
亜海:居酒屋みやびの新しいアルバイト
原島:ジンの高校の大先輩。新社長としてジンにアドバイスを求めている。

「いらっしゃい。毎度」

「あれ?由美ちゃん、どうしたの?」

「今日は休みを取ってお手伝いすることにしたの」

「亜海がね、学校の友達と旅行に行ってるんですよ。ところが、今日は、送別会の予約が入っているんで、助けを求めたってわけです」

「なーるほど。でも、懐かしいね。亜海ちゃんには悪いけど、やっぱり、みやびの看板娘だなあ」

「なんか、私も懐かしいけど、ちょっと気恥ずかしいわ」

 由美ちゃんは、大学入学と共に大将の家に下宿して、ほとんど毎日ここで働いていたので、正に看板娘だった。
 
 卒業後も、就職活動がうまくいかず、ほぼ諦めて働いていたが、酒の卸会社の幹部の目にとまって、去年就職が決まったのだ。
 
「さあ、生ビールとお通しね。今日は、菜の花のとろろ和えです」

「ありがとう。春だねえ。それじゃ、いただきます」

本日のテーマは、有名な成長ベクトルです。

本来、成長の方向性という意味になりますが、経営学者のイゴール・アンゾフの提唱するツール(マトリクス)を指すことが一般的です。

そのため、成長ベクトル=アンゾフマトリクス=成長マトリクス=製品・市場マトリクス となり、どれを言っても同じことになりますのでご注意を。

成長戦略というとまず、このマトリクス(表)が最初に出てきますので、良く確認しておいてください。

つまり、自社(自組織・事業部門)がこれから向かうべき方向を検討するフレームワークです。

二つの軸(製品と市場)の組み合わせで考えるものですので、非常にわかりやすいのですが、現状を良く把握することが大切になります。

マトリクスとしてはこの図のようになります。

アンゾフマトリクスの図

-あらかじめ作成してきたマトリクスを壁に貼りだしている。

-製品を既存製品・新製品と2つにわけ、また、市場も既存市場と新市場の2つに分けて、その組み合わせで4つの箱を作っている。

-それぞれの組み合わせは、

(1)既存製品×既存市場=市場浸透戦略
(2)新製品×既存市場=製品開発戦略
(3)既存製品×新市場=市場開発戦略
(4)新製品×新市場=多角化戦略

である。

なお、製造業や小売業などでなくても、製品をサービスに置き換えて使うことが一般的です。

それぞれ説明すると以下の通りです。

(1)市場浸透戦略:基本の戦略です。

まず、既存の製品(サービス)を既存の市場でいかに浸透させるかを考えます。

→製品ライフサイクルで言えば、導入期や成長期に特に力を入れる戦略と言えるでしょう。

たとえば、広告を打ったり、地域イベントに参加するなど、製品と市場の特徴を考えた販売促進を行うなどの戦略をとります。

(2)製品開発戦略:既存市場(既存顧客)に向けて新たな製品を提供する戦略となります。

ブランドが確立されていると非常にやりやすい戦略となります。

→既存製品が成熟期になってきた場合、顧客との関係を活用して新たな価値を提供しながら、新製品を投入します。

たとえば、顧客アンケートから新たな製品を開発し、既存顧客に優先販売をして早期定着を図ったり、既存顧客の反応を生かした改良を行うことなどが考えられます。

(3)市場開拓戦略:既存の製品を新市場に投入する戦略です。

まだまだ、既存製品にとって未開拓な市場がある場合に検討する拡大戦略とも言えるでしょう。

→やはり成熟期になり、既存市場が飽和状態になってきた場合、または、より広い市場に投入する余力が出てきた場合などに取られることになります。

たとえば、国内向けで伸びてきた製品を中国市場に投入するなどになります。

(4)多角化戦略:新市場に、新製品を投入するという戦略です。

→既存製品が陳腐化してくる、これ以上の市場拡大が望めないなどという場合に加え、単一製品や単一市場依存のリスクを分散するための戦略でもあります。これは事業ポートフォリオなどと言いますが別の回に説明します。

たとえば、中古車販売会社が、遊休地を利用して焼肉店を行うなどの例が考えられます。

余談ですが、ベクトルとは、本来、向きと大きさを表します。

つまり、単純に成長の方向性を示すだけでなく、重視するもの、もしくは深さの検討が暗示されていると思います。

まず、活動の基本戦略は、「市場浸透」で間違いないでしょう。

そこで培われた顧客との関係性を活用できれば、新たな製品を投入するにしても、事前調査や最適なターゲットを検討して行うことができます。

これが「製品開発」への方向ですが、まったく同じ市場を考えるのか、それともその一部のニーズを捉えて投入するか、など単純ではありません。

この辺が、ベクトルの持つ「大きさ」に当たります。

同様に、既存製品に強みがあれば、これまでの市場を飛び出して、新たな市場、もしくは周辺市場への投入もリスクは少ないと言えます。

「市場開拓」は、新たな市場に単純に既存製品を投入するのか、もしくは、その市場に合わせてカスタマイズするなどの強弱も必要となります。

カップ麺のうどんでも、関東と関西は出汁の味を変えていることなどもその典型でしょう。

「多角化」というのは、言葉としては魅力的ですが、元々の自社の強みを活かしたものでなければ、なかなかうまくいかないというのが現実のようです。

先ほどの例で出しましたが、中古車販売会社が遊休地を利用して、全く新規事業である焼肉店を行うなどを考えても、ちょっと難しいんじゃないか?と想像できますよね。

中古車販売の顧客サービスノウハウが必要であるとか、現在の顧客のニーズに直接応える等のような強い関連性が必要かもしれません。

 ちょっと苦めの菜の花をつまみに、菊正宗の樽酒にした。
 
「成長ベクトルの考え方って、常に考えていく必要のあるものなのね」

「そうだね。外部環境も内部環境も変化し続けるから、まずは、今のお客様にしっかりと対応しながらも、今、お客様になっていない人たちやまだ進出していない世界を考えていかなければいけないんだ」

 先日の研修での成長ベクトルを思い出しているようだ。

「居酒屋みやびも、基本の酒やメニュー、そして常連のお客さんをしっかり確立していて、その上で、新しいメニューや酒を積極的に取り入れている。その上、店のキャパを考えて、大々的なものではないにしろ、チラシや店の前のメニュー看板を変化させているのも戦略的だよね」

「いやー、ジンさんにそこまで誉められると照れますねえ」

「おじさんだって、ジンさんに教えてもらったことをそのままやっているだけじゃないの」

「由美ちゃん、そうでもないよ。客層の変化をしっかり見て、メニューを変えていると思うんだ。ねえ、大将」

「ま、そんなに大層なことを考えている訳じゃないですがね。一応、若いお客さんなんかには、最近食べておいしかったものとか、こんなもの食べたい、飲みたいなんていう話を聞いて、書き留めていますよ。ま、それもジンさんとの話がヒントでしたけど」

「おじさんも、ジンさんに顧問料払わなきゃいけないわよね」

「いやいや、由美ちゃん。いつも、お通しは特大だし、お酒だって、蔵直送の生酒なんかをタダで飲ませてもらっているから、高い顧問料をもらっているようなもんだよ」

「はいよ。今日は、マダイの塩焼きサービス。ちょっと小振りだけどね」

「おおー。大将、気を遣いすぎですよ」

「送別会用にたくさん仕入れたんで、サービスに置いていってくれたもんですから材料費ゼロですよ。賄い用にも残ってますから、由美っペにも鯛飯あるよ。ジンさんも締めに食べてってくださいよ」

「やったー」

 由美ちゃんと歓声がハモってしまった。