85.バリューチェーン

【主な登場人物】
ジン(北野):主人公 サラリーマンの傍ら経営コンサルタントをしている
黒沢:居酒屋みやびの大将 酒と和食へのこだわりが強み
由美:居酒屋みやびの看板娘 黒沢の姪
雄二(鳶野):ジンの幼なじみ ジンの応援で起業を目指している
大森:みやびの常連 地元商店街の役員
近藤:みやびの常連 建設会社顧問
山野綾:ジンの営業部の部下

 先週からのトラブル対策もほぼ落ち着いたので、今日は、みんなを早めに帰らせ、自分は居酒屋みやびへ向かった。
 
 飲食店街はまだ新年会シーズンが続いている。
 
「へい、いらっしゃい。ジンさん、毎度」

 大将のだみ声が客の入りの良さを示している。テーブルはほぼ満席のようだ。

「今日はさすがに寒いんで熱燗からいきます」

「了解。じゃあ、55度まで上げますか」

「そうですね。1本目はギリギリ55度まで上げてください」

 熱燗の温度にもこだわってくれるのがみやびの良いところだ。通常は50度前後が好みなのだが、こう寒いと少し熱くしたい。
 
「お、ジンさん、今日は熱燗からスタートですか」

 近藤さんが隣に座った。
 
「この寒さだとまずは温めておかないと落ち着かないですからね」

 熱燗が指定の温度になるまでお通しのブリ大根の大根をつついていた。

「ジンさん。ところで、うちの経営企画の宮下がそろそろ来る頃なんですが、相談に乗ってやってもらえますか。また、壁にぶつかってるみたいなんですよ」

 近藤さんの大義建設工業の経営企画チームとは、コンプライアンス関係での繋がりで時々会っている。その中でも若手でやんちゃなのが宮下だ。

「いらっしゃい」

「お、さっそく来た来た。宮下君、こっちだよ」

「北野さん、明けましておめでとうございます。お邪魔します」

「宮下君、おめでとうございます。お久しぶりですね」

 彼の生ビールを注文すると我々の熱燗も出来上がったようだ。
 
「かんぱーい!」

 宮下君が生ビールを飲み干した。

「すいません、北野さん。今日はアドバイスをお願いしたいんですがよろしいでしょうか」

 ちょっと、熱燗にむせた。

「・・・ああ、もちろん。今、近藤さんからお願いされていたところなんですよ」

「近藤顧問、ありがとうございます。で、さっそくなんですが北野さん。うちもご多分に漏れず経営状況が厳しいんですが、何とかうちの強みである顧客満足度を下げずにコストダウンをしていきたいんです。でも、何から手をつけたらいいのか悩んでいるんです」

「そうですねえ。こんな状況だと雇用調整は避けられない企業が多いですから、サービスの低下や納期遅延という直接お客さんに迷惑をかける状況になってしまう恐れがありますよね」

「そうなんです。年度見通しからしても、全体のコストを2割くらいカットしないといけないという数値目標が出たんです。でも、給与カットや出張削減をやっていたら、みんなのモチベーションは下がるし、お客様の声に答えることすら出来なくなってしまうので悩んでいるんです。一律2割カットできなければ、どこかは5割とか6割カットを考えなければいけないんですが、影響が大きそうなんで考える糸口が見つからないんです」

「闇雲に考えても難しいですね。ちょっと、一息おいて、バリューチェーンを分析してみたらいいかもしれませんね」

「?バリューチェーン、ですか?聞いたことはあるような気がしますが・・・」

「競争戦略で有名なマイケル・ポーター教授が提唱したものです。簡単に言うと、企業活動におけるモノやサービスの流れに着目して業務活動を分析していくものなんです」

「モノやサービスの流れですか」

「企業はその活動の中で付加価値を産み出し、最終的に利益につなげていきます。ただし、業務は直接顧客に提供される製品やサービスに加えられる付加価値だけでなく、企業全般を管理する業務、内部の従業員に対する人事や労務管理なども全体として最終的な価値を産み出しています。これは分かりますよね」

「ええ。我々も営業や現地工事担当のように直接的な価値を産んでいるわけではないですから」

「モノを作って売る製造業が分かりやすいですね。原材料を買って、製造し、出荷すること、販売のためのマーケティングなどが主活動の流れです。それらの主活動を支えるのが、技術開発や人事・総務・経理などの支援活動と捉えます」

「それぞれが繋がりながらモノやサービスを作りあげていくと言うことですね」

「そうです。全体を見ながら、かつ、それぞれの業務活動について、競争優位の源泉はどこか、コスト削減が可能な活動はどれかを検討していくのです。差別化などの優位性構築にそれほど影響を与えない機能についてはアウトソーシングを検討するなどにつなげていきます」

「なるほど。全体の流れと各業務活動の関係を見ながらコスト削減を検討すると言うことですね」

「優位性というのは必ず顧客に繋がっていますので、本当に優位性なのかどうかも考えることで、基本戦略の見直しにもつなげることが出来るはずですね」

「バリューチェーンですね。さっそく明日チームメンバーに集まってもらって検討します。また、分からなくなったら教えてください」

「もちろん。メールしてください。必要なら顔を出してもいいですよ」

「是非お願いします。良かった。近藤顧問、これで何とかなりそうです」

 近藤さんはちんぷんかんぷんな顔で熱燗の追加注文をしているところだった。
 
「私は宮下君達が楽しそうに仕事をしているのを見ることが楽しみなんだよ。ジンさんも忙しいんだから、あんまり無理いっちゃダメだよ。ねえ、ジンさんも無理しないでくださいよ」

「ははは。近藤さん。私だって、彼らと一緒に議論をしていると元気が出るんですよ。うちの会社とは違うチャレンジ精神がありますからね」

「私には何にも出来ないが、2人には特製アンコウ鍋をご馳走させてもらいますよ。食べたことありますか?」

 宮下君がうれしそうに声を上げた。

「近藤顧問、本当ですか。初めてですよ、アンコウ鍋食べるの」

 大将が人差し指を口の前に持っていった。

「特別なんですから小さな声でお願いしますよ。良いアンコウが手に入ったんですが、量があんまり無いのでメニューに載せてないんですから」
 
 アンコウ鍋を囲んで、みやびと客のチェーンが繋がり、夜が更けていった。
 
(続く)

《1Point》
・バリューチェーン
 価値連鎖と言う。
 
 「バリューチェーンとは、企業が提供する製品やサービスの付加価値が事業活動のどの部分で産み出されているかを分析する手法だ。付加価値に着目することにより自社の優位性の源泉を探って、基本戦略を考えたり、競争分野を決めたりすることができる」(「MBAマネジメント・ブック」グロービス経営大学院編著 ダイヤモンド社 P28のPointより)


 
  バリューチェーンの図(マイケル・ポーターの関係書を参照して作成)