29.談合システム

(前回まで:ポーターに続き、フィリップ・コトラーの市場地位別競争戦略の分類を学びました。市場における相対的な地位を分析し、それぞれの地位に応じた戦略をとることになります)

 会社はその後も公正取引委員会の調査対応とマスコミ対応に追われているようだ。営業部では、これまでの会社の態度表明を文書にして、それぞれの顧客に説明に回っていた。
 
 官需営業課の同期である木村輝明から誘いがあり、遅い時間に会うことになった。静かなところが良いだろうとバー「Y」を指定した。
 
 その夜、サラリーマン達と着物やドレスの女性達が錯綜する通りを縫って、一歩入った路地の古いビルに着いた。骨董品もののようなエレベーターで最上階のボタンを押す。4人程度で満員になりそうなエレベーターが静かに上昇する。
 
 7階。
 
 エレベーターを降りると一軒だけの入り口がある。
 バー「Y」の銅板の表札の上には「会員制」という文字がさりげなく添えられていた。
 
 簡易扉を開けるとかすかにジャズが流れてくるのはいつもの雰囲気だ。
 左手のカウンター内でグラスを磨いているバーテンダーの悠木さんがフッと顔を上げると、頷きながら「いらっしゃいませ」と奥を指し示した。
 
 木村はすでに来ていた。他に客はいない。
 
「早かったな」

「おう。今日は課長が早めに解放されたんで、報告を纏めて出てきた」

「そうか。吉田課長は、霞ヶ関に呼ばれていたんだっけな」

 今回の独禁法違反の調査で、官需営業課長と課員も公正取引委員会から呼び出しを受けていると聞いていた。公正取引委員会は霞ヶ関の日比谷公園に面した場所にある。
 
 木村は生ビールを飲んでいた。
 
「悠木さん、自分もビールお願いします」

 こっくりと頷くと細足のピルスナーグラスに生ビールを注ぎ、静かにカウンターに置くと少し離れた場所でグラスを磨き出す。 いつもながら居心地のいい空間だ。
 
 軽くグラスを合わせて乾杯をした。
 
「うーん。うまい・・・それにしても、今回は大変だったな」

「ああ。却ってみんなに心配かけちまったようだけどな。北野もありがとう」

「いいや、俺は昔からお前が悩んでいたのを知っていたからな。ここまでの事件になる前に何とかできなかったかと後悔しているんだ」
 
 木村はすっとビールを呷り、グラスをトンとカウンターに置いた。しばらく黙ったままになったので、口を開こうとすると目が光っていることに気づいた。
 
「木村。俺たちはこの会社で同期として知り合ってから良く集まって飲んだよな。その頃、官需営業は花形だったから、お前が一番の出世頭だと囃したてたけど、いつもお前は、『何か違っている』と言い続けていた。社会とシステムがずれてしまっているというのがお前の説だった。その頃から何となく談合システムというのが判っていたけど、それをしないと会社の業績を維持できないというのも判っていたから、必要悪だというのがみんなの意見だった。ただ、俺も含めて、みんな当事者ではなかったから、本当のことは理解できなかったんだろうなあ」

 木村は2杯目のビールを頼んで、遠くを見ながら口を開いた。
 
「そうか。でも、北野達に愚痴はこぼしたけど、毎日、そのシステムを維持して受注を確保することに邁進していたし、夜の付き合いやゴルフ中心の生活だった。言っていることとやってることが全然違っていたんだ。評価されて、昇給や昇進につながってくるとそれが自分の役割だと割り切れるようになってしまった」

 木村はこれまでの自分を整理しているのかもしれないと気づいたので、口を挟むのをやめた。
 
「・・・会社の目標を達成するためには談合のシステムを守ることが大前提だった。でも、俺は、そんな状態がいつまでも続くとは思っていなかったし、本気で変えなければいけないと思っていた。でも、そんなこと俺一人でできるわけはない。だから、後輩達には受け身の営業に染まらないように言い続けたし、上司から組織編成の相談を受けたときも、談合システムが機能しなくなった時のことを考えて、技術営業中心にする人事案を提案していたんだ・・・」

「・・・そして、俺は談合業界の担当者になることを決めた。この頃、北野にははっきり言わないまま随分相談したよな。あの時言ったことを覚えているか?」

「はっきりは覚えていない。業界とは言ってなかったしな。ただ、マンガの話をしていたよな。だから俺はやるんだって言ってたような気がする」

「このままでいいのかと悩んでいた頃、実家で上の兄貴の残していったマンガを見つけたんだ。『侍ジャイアンツ』という野球マンガだった。話は単純だったけど、主人公の父親の巨鯨との闘いが伏線に使われていた。父親は鯨漁師だったんだが、巨鯨と外から闘っても勝てないとわかると、自ら巨鯨に呑み込まれて、腹を割いて出てきたと言う話だった。荒唐無稽と言われるけど、そのマンガを読んで、俺は決心した。巨鯨は、談合の業界だと思いこんだんだ。俺は、その巨鯨に飛び込んで腹を割いて出てこようと・・・それだけが、後輩にこんな思いをさせない方法だって本気で思った・・・ガキだったんだ」

 男泣きというのはこう言うのを言うのかもしれない。
 
 俺はただ隣で見つめているしかなかった。
 
 悠木さんは、いつも微かにしか流さないジャズを少しだけ大きくし、静かにグラスを磨き続けていた。
 
 俺は、こいつに何が言えるだろうか。有森社長が悪いんだろうか。それとも社会が悪いのか。
 
 談合を商慣習と捉えた言い方をした時期もあったし、時代の要請だったという意見もある。
 木村の言うように、過去の一つの社会システムが時代の流れについていっていなかったということなのかもしれない。
 
 でも、それを変えなければいけないのは誰なんだ。誰の責任なんだろう。
 
(続く)

《1Point》
・談合(価格カルテルの一種)

 日本の独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)は、これを不当な取引制限として禁止している(独禁3条後段)。
 独占禁止法の適用除外として不況カルテルや合理化カルテルが認められ、カルテル価格が公認されることもあったが、適用除外制度の見直しとして、不況カルテル制度及び合理化カルテル制度の廃止(平成十一年七月二十三日施行)並びに商工組合の経営安定カルテル制度及び合理化カルテル制度の廃止(平成十二年三月二日施行)が行われた。

また、公共事業などにおける競争入札の際、複数の入札参加者が前もって相談し入札価格や落札者などを協定しておく談合と呼ばれる『商慣習』も、今日では企業間の自由な競争を阻害するカルテルの一種として扱われる。
(Wikipedia)『』記入は筆者